「特別支援学級」で育った子の知られざる本音 | おとなたちには、わからない

大塚 玲子:編集者、ライター、ジャーナリスト
東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/218036

「私はアスペルガー症候群とADHD(注意欠陥多動性障害)を持ち、早期に診断を受け療育を受けている最初の世代です」――連載の取材応募フォームから寄せられたメッセージには、こんなふうに書いてありました。送ってくれたのは、都内に住む20歳の女性です。

そこで、早速これまでに読んだり聞いたりしてきた(しかしさほど詳しいわけでもない)発達障害の知識を総動員して、お話を聞かせてもらったのでした。

「おとなたちには、わからない。」シリーズ。今回は、5歳で発達障害の診断を受けて特別支援学級に通ってきた、高橋涼音さん(仮名)のお話です。

「特殊学級」→「特別支援学級」の1期生
涼音さんが発達障害の診断を受けたのは、2002年のこと。当時、発達障害という言葉を知る人は、まだ少なかったでしょう。看護師である涼音さんの母親が発達障害の知識をもっていたことから、早い時期での診断に結び付いたのでした。

涼音さんの幼少期は、なかなか波乱に満ちていました。小学校低学年のときは、一時保護所(児童相談所に付属する施設。18歳未満の子どもを預かる)で生活していたこともあります。これは、同じアスペルガー症候群でも自閉傾向が強かった妹さんの家庭内暴力のためでした。

一時保護所では「年上の少年に執拗にボコられ」て苦労し、自宅に戻った後は不登校に。その後、小3の2学期からは特別支援学級に入りました。「特殊学級」が「特別支援学級」という名称に変わった、ちょうど最初の年です。

中学も特別支援学級に通い、高校はチャレンジスクールへ。チャレンジスクールとは、不登校で中学に通えなかった生徒などのために東京都が設置した単位制・定時制の高校です。涼音さんはここに4年通い、今年度から大学生となりました(取材は2017年2月)。

「発語は3歳のときなので、特に遅くはないですね。逆にトイレは遅かったです。言語能力と情報認識能力に差があって、言語のほうが早かった。妹は逆です。私は自閉傾向がかなり少ないです。障害の程度は、決して軽くはないですけど」

高橋涼音さん(仮名)の障害者手帳
「障害の程度は軽くない」という言葉が意外に思えて、「重さはどうやってわかるの?」と尋ねると、「生きていて、なんとなく(笑)」とのこと。本人がそう感じるのであれば、そうなのかもしれません。

「たとえば遅刻が多いです。私の場合は『我慢ができない』というのが、すごくあって。出かける前に、『お小遣い帳つけなきゃ。あ、あと10分ある、ちょっとやっちゃおう』というので止まらなくなったり。ちょっと時間があるな、と思ってブログを書き始めて止まらなくなったり。腰が重いから、出かける直前になっちゃう。時間があるときにやっておかなきゃと思っても、そのときはやりたくない。自分勝手なのかな?(笑)」

いや、それは誰にでもある傾向……というか、私もある! と思いましたが、おそらくその「止まらない」具合が、涼音さんの場合、人よりも激しいのでしょう。ここ数年は、母親と養父の離婚や、実父が亡くなったことなどからストレスが増え、症状がより強く出ているのだそう。

ただ、話をしていて、あまり特別な感じはしません。アスペルガー症候群はよく「人の気持ちがわからない」などと言われますが、涼音さんは話し相手の反応に敏感すぎるほど敏感です。

私は先に聞いていたので、「発達障害の人」という色眼鏡をかけて彼女に接してしまったと思うのですが、もしそれを聞いていなかったら、どうだったか? 気付かなかったかもしれません。

アスペルガー症候群、ADHDなど、ひとことで言っても、実際には一人ひとり違う部分が大きいんだな、という初歩的な事実に行き当たりました。

親の離婚、再婚、再離婚、死別、ほか
涼音さんは、家族遍歴もかなりユニークです。詳細に書くと原稿がつきてしまうので、ざっとまとめさせてもらうと、こんな感じです。

・幼少期 いわゆるふつうの4人家族
父・母・1歳下の妹(その1)と本人
・小2 両親が別居 母と妹と3人暮らしになる
まもなく妹が入院 退院後、妹(その1)は父のもとへ 母と2人暮らしに
・小4 知らないおじさんと母と3人で暮らすように
・小6 両親の離婚が成立し 母がおじさんと再婚
・中1 涼音さんとおじさんが養子縁組 涼音さんに養父ができる
・中2 異父きょうだいである 妹(その2)が誕生
なお小4~高2の間、大黒柱は母 養父が主夫&子育て担当
元社会福祉士の養父は「療育的な子育てを試行錯誤した」そう
・高3 母と養父が離婚し 母との2人暮らしに戻る
・高4 実父が亡くなる 妹(その1)は祖母と暮らすように
一度読んだだけでは飲み込み切れないと思いますが、いろいろあったんだな、ということはおわかりいただけたでしょう。

ちなみにお母さんは、この家族歴を特別なものとは思っていないそう。涼音さんに「これがふつう」と言ったため、彼女はそれを言葉どおりに信じ、「大学で知り合った人にそのまま話したらひかれてしまい、恥ずかしかった」と言います。どんな形の家族でも驚かれない社会になってほしいものですが、正直にいえば、私もちょっと驚きました(ポジティブに)。

涼音さんによると、お母さんにも発達障害の傾向があるとのこと(傾向は妹さんと近い)。また涼音さんの話を聞く限り、お母さんは困っている人をほうっておけない性格のようです。

「気持ちはわからんでもないです。私も元カレの引っ越しを手伝ったりしていて、受験に失敗して今に至るので(笑)。高校のときの元カレは両親がいない人で、18歳を超えているから児童相談所も対応してくれないし、20歳未満だから家を借りられない。それで私が受験勉強のとき、一緒に不動産屋に行ったりして手伝っていたんです」

親の離婚、再婚、再びの離婚。子どもの立場からしたら、不満や恨みもあるのでは? と思い水を向けてみましたが、どうもそういった発想はあまりないようです。

涼音さんが優しい性格であることや、親たちが適切な配慮をしてきたことも大きいのでしょうが(聞く限り、実父も養父も彼女を大変大切にしてきたようです)、もしかするとこれまで受けてきた教育の中で、「あらゆることを、まわりに合わせる価値観」が身に付いているせいもあるのかもしれません。

勉強と療育、両方したかった
これまでに、大人はわかっていないな、と感じたのはどんなこと? と尋ねると、「自分も(まわりのことを)わからないことのほうが多い」と断りを入れつつも、何度も口にしたのが「勉強がしたかった」という言葉でした。

「私は幼稚園にもあまり溶け込めていなかったし、一時保護所から戻った後は不登校になったので、母親は『この子に健常者のルートは無理だろう』と思ったらしく。その頃、埼玉から東京に引っ越したのですが、そのときに、特別支援学級に入れられたんですね。『(私が)頭がいいと思えない』とも言われていて。

特別支援学級は、一長一短ですよね。自分のために使える時間が多かったので、コミュニケーション能力はすごく伸びました。宿題もないので、ばかみたいに本や漫画を読んで、コミュニケーションのパターンを覚えたりして。それに私は、人間関係を考え過ぎるくらい考えて、家に帰るとうじうじ悩む“気にしい”なタイプなので、(支援学級にいるほうが)最初から孤立していて悩まないで済むのもよかったです。

ただ、勉強はすればするだけできていた、と自分で思っているので……。そうしたら、もうちょっといい大学に入って、ひとつでも自分の自信になることができていたのかな、というのはすごく感じます」

涼音さんの「勉強したい」という思いは、今に始まったものではありません。

中1のときにはすでに「塾は通わせてもらえないとわかっていたから、進研ゼミの中学講座をやりたいと親に言って」、登校前や休み時間、帰宅後に、ひとりで勉強していました。

親から「勉強やめたら?」と言われてもやめず、中3の夏休みも毎日5時間の自主勉強を続けます。模試では「5教科の偏差値が50くらいだった」そうですが、完全な独学でこの成績はたいしたものでしょう。しかし残念ながら、特別支援学級から一般高校に進学することはほぼ不可能なため(内申点がつかない)、受験は断念することに(※地域によって異なります)。

大学受験のときも、先ほど書いた元カレの件(引っ越し手伝い)や、実父の他界が続いたことなどから、希望校を受けることがかないませんでした。高校のサークルで書いた小説が文学賞を取っていたため、AO入試で現在の大学に進学できたのですが、それでも「学歴コンプレックスが強い」と言います(受験で進学するより小説で進学できるほうがスゴイと筆者は感じますが、そこは人それぞれの価値観でしょう)。

療育の意味では、特別支援学級に行ってよかった。でも勉強はしたかったという涼音さん。

「いまは特別支援学級でも普通学級でも、勉強と療育を両方やるってことが、ほぼ不可能ですよね」

サラリと口にしましたが、おそらく彼女が社会や大人たちに最も訴えたかったのは、このことでしょう。同じように感じている子どもは、実は多いのかもしれません。

先日、自閉症の子がいる友人にも意見を聞いたところ「一番の問題は『その子に適した場がない』ということ。知的障害がある子どもにも、普通学級の子どもにも、同様の問題は起きている」と言われ、確かにそうかもしれない、と思いました。

特別支援学級から見た普通学級
当時、涼音さんの学校では、特別支援学級の子どもたちに、普通学級の子どもが意地悪をしてくることが珍しくありませんでした。

「たとえば、小2の男の子3人組から『特別支援学級のくせに、廊下歩いてんじゃねえや、気持ち悪い』と言われたり。図書室に行ったら、年上の小5の女の子に『気持ち悪っ』とか言われたこともありましたね。やっぱり、けっこうグサッとは来ました。もちろん、普通学級の誰もがいつも、いやな態度をとるわけじゃないんですけれど。でも、普通クラスの子の嫌な面は、たくさん見てきました」

中学校の特別支援学級に入ると、他校の支援学級から来た子どもたちは「明るくて、のびのびして」おり、涼音さんの学校の支援学級から来た子は「暗かった」そうなので、学校によっても環境はだいぶ異なっていたのでしょう。

なお中学校では、小学校まで普通学級にいた子どもたちが特別支援学級に入ってきたため、知的障害が軽度の子の割合が増えたといいます。

「そういう軽度の子は、(普通学級での)いじめられっ子から急に(支援級での)優等生になって、自分より障害が重い子をいじめちゃう、ということもありました。軽度というか、境界に近づくほど知恵がついて、人に意地悪をすることも考えるようになるので。

知的障害が軽い子は、自分より重い子のことを手伝って、全部やってあげちゃったりして。そういう差も感じていました。頃合いを見て『本人にできることは、本人にさせたほうがいいよ』と言えば、直る子は直るし、ふてくされる子はふてくされるし」

涼音さんの目線はもはや、先生のそれですが、もしかすると本当は普通学級でも、子ども同士の間でこういったサポートがあってもいいのかもしれません。

周囲に合わせる、の次の段階
大学生となり、20歳を迎えた涼音さん。いまの課題は、「自分の認識をいかに信じるか」ということだそう。

「これまではずっと、自分が周囲に理解されるように変わるしかないと思って、社会に合わせて生きてきました。たとえば、『こういうことをすると人を怒らせてしまうから、してはいけないよ』とか、そういうレベルです。

だから、いざ自分が『どうしたい?』って聞かれると答えられない。ほかの人からは、私は気ままに生きているように見えるかもしれないけれど、実際はあんまり好き勝手には生きていないので。

たとえば、ひどいことを言われたときに、怒るべきか泣くべきかわからないんです。自分が知らないうちに、相手を傷つけることを言っちゃったのかな? とか思っちゃう。まわりに合わせてばっかりだから、自分の認識に自信がもてない。

いまは、自分の認識をいかに信じるか、それをいかに伝えるか、という段階です。『自分は何ができなくて、どこが間違ってる』じゃなくて、『周りのどこがダメで間違ってる』と言うこと。相手がおかしいことを言ったときに、『あなたはこういう点がおかしい』と、いかに言うか。そういうことが必要な段階に入ってきちゃったことが、私は苦しいですね」

考えたことがありませんでしたが、それは大変なことでしょう。いまの日本では、発達障害の人たちは「周囲や社会に合わせること」を求められ、そのための教育を受けていますが、実社会に出るにあたっては「自分がどうしたいか」を求められます。戸惑うのは、無理もないことです。

でも改めて考えてみると、それは発達障害だけの話ではないかもしれません。日本の学校教育全般、「周囲や社会に合わせること」ばかりを求めてきました。そのため、さんざん指摘されてきたとおり、「自分で考える力が育たない」という問題が起きています。

わたしがよく取材するPTAの問題も同根です。これだけ多くの人々から不満の声があがるのは、仕組みに問題があるからですが、「仕組みを見直そう」という人がたまに現れると、「厄介モノ」扱いされてきました。

これもまさに「周囲や社会に合わせること」ばかりを求めてきた学校教育の成果のようにも思えます。

「発達障害だから」に潜む危険も
「発達障害」という診断がつくことで、本人の言うことが信用されなくなってしまう場合もあるのでは? 涼音さんは、そんな可能性も心配しています。

「たとえば私が親に『勉強がしたい』って言っても、私には『発達障害』という枠が与えられているから、『あなたには無理』と言われて終わりなんですよ。だから、もし『お前は発達障害だから、状況把握ができなくて虚言癖がある』みたいなことを親が言っちゃえば、本人の意思にかかわらず、それが通っちゃうこともあり得る。

たぶん、虐待を受けている子どものなかにも、発達障害という診断を受けているから『本人の虚言』で済まされている人はいると思いますよ。私は虐待を受けていないですけれど、私のまわりには、『生きててごめんなさい』って親に土下座させられた子とか、ふつうにいたので」

社会や周囲に合わせることも、もちろん必要です。でも、それが度を過ぎれば、子どもの人権を踏みにじることにもつながりかねない。よく考えなければいけない、おそろしい点です。

涼音さんは、この春から1年間、大学を休学することに決めています。

「4月から、なんか勉強します。やっぱり勉強していない、というのがすごいアレなので。昔から、塾に通ってたらどうだったんだろう? とか、ピアノを習ってたらどうだったんだろう? とかすごく考えるので、1回やってみようかなって。休学するだけで、もちろん大学は卒業しますけど。

苦労ばっかりして、やりたいことをやってきていないなって思うので、プラスの経験値を上げたいんです。去年は養父との縁組解消や、引っ越し、大学の入学手続き、成人に伴う国民年金・障害年金の手続き、遺産相続などがいっぺんに来て、さらにバイトや学校もあって、けっこう辛かったです。休学中の在籍費は、バイト代からもう母親に渡してあります。話したら許してくれました」

「自分の認識を信じること」を課題とする涼音さんが、ようやく自分で下した決断です。どうかこの1年が、涼音さんにとって必要なものを得られる時間になるよう、祈ります。

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