快筆乱⿇!masaが読み解く介護の今(26)利⽤者の思いを医療・介護職が共有するのに必要な知識とは

キャリアブレインマネジメント 2018年04⽉27⽇

【北海道介護福祉道場 あかい花代表 菊地雅洋】
 第158回の社会保障審議会・介護給付費分科会(1⽉26⽇開催)の参考資料「平成30年度介護報酬改定に関する審議報告の概要」には、介護報酬改定の⽬的の⼀つに、「地域包括ケアシステムの推進」が⽰されている。どこに住んでいても適切な医療・介護サービスを切れ⽬なく受けることができる体制を整備する必要があることから、「中重度の在宅要介護者や、居住系サービス利⽤者、特別養護⽼⼈ホーム⼊所者の医療ニーズへの対応」のための改定を⾏ったとしている。
 2018年度介護報酬改定に関する審議報告の概要 クリックで拡⼤
 厚⽣労働省資料より

 今回改定では、ターミナルケアの実施数が多い訪問看護事業所や看護職員を⼿厚く配置しているグループホーム、たんの吸引などを⾏う特定施設を評価しているほか、特別養護⽼⼈ホームの医療体制を充実した場合の加算が新設され、その体制を整備した特養での看取り介護加算も評価が引き上げられた。つまり、⾃宅をはじめ、暮らしの場である居住系施設で、医療・看護体制の充実が求められ、それはすべての暮らしの場で「看取り介護」が⾏われることを⽬指すものともいえる。
 わが国では、現在死者の8割以上が医療機関で「死の瞬間」を迎えているが、⼀⽅で医療機関のベッド数は減らされていく傾向にあり、今後医療機関で亡くなる割合は下げざるを得ない。
 2030年には死亡者は年間約160万⼈を超えると予測されるが、現状のままでは47万⼈ほどが、死に場所の定まらない「看取り難⺠」になる恐れがあるとされている。それを防ぐには、社会のさまざまな場所で、看取り介護・ターミナルケアを⾏うことができる体制を整える必要がある。そのためにも、地域包括ケアシステムを推進・深化させ、さまざまな場所で所属機関の異なる多職種が連携・協働しながら、暮らしの場で看取り介護ができる体制が求められている。つまり、死ぬためだけに⼊院しなくてもよい社会を作るために、地域包括ケアシステムが求められているともいえる。
 このように、地域包括ケアシステムと看取り介護・ターミナルケアは密接に関連している。これについては、13年3⽉に地域包括ケアシステム研究会が作成した「地域包括ケアシステムの構築における今後の検討のための論点」の中では、次のような内容が記されている。
 
・毎⽇、誰かが訪問してきて様⼦は⾒ているが、翌⽇になったら⼀⼈で亡くなっていたといった最期も珍しいことではなくなるだろう。
・常に「家族に⾒守られながら⾃宅で亡くなる」わけではないことを、それぞれの住⺠が理解した上で在宅⽣活を選択する必要がある。

 報告書では、国⺠に対し、在宅でサービスを受けながら死を迎えることについて、死の瞬間に誰かが側にいて看取ってくれる状態とは限らないことについて覚悟を促している。さらに⽇常的に⽀援を受けた状態であれば、死の瞬間を⼀⼈で迎えたとしても、それは孤独死ではなく、「在宅ひとり死」であるという考え⽅がさまざまな機会で⽰された。⾃宅で亡くなる際、家族に⾒守られずに旅⽴つこと⾃体は不適切な状態ではないという理屈を創りあげているわけだ。その考え⽅を受け⼊れる⼈や賛同する⼈もいてよいだろう。しかしそうした「在宅ひとり死」を他⼈に推奨するような動きはいかがなものか。誰からも⾒守られずに、⼀⼈で旅⽴つことを望まない⼈もいるのではないかという配慮も⼀⽅では必要だ。しかしながら、すべての国⺠が、最後の瞬間まで誰かが側について看取ることができないのも事実で、その際は、亡くなったことに周囲が気付かずに、遺体が⻑期間放置される状態となることだけは避けたい。隣⼈の存在を、死臭によってはじめて知るような社会で⽣きていきたいだろうか。
 そもそも「死に場所が定まらない看取り難⺠」とは何ぞや、という疑問が⽣ずる。⼈は必ず死ぬし、どこでも死ねる。そうであれば死ぬ瞬間がどこで、どういう状態であろうと「死に場所はあり、⼈の死に⽅はさまざまでは」と考えるべきではないかという意⾒もあるかもしれないが、死ぬ瞬間まで⼈は⽣きている。つまり、尊厳を持った⼈として⽣きる姿が、死の瞬間まで続くのだ。そうだからこそ、死の瞬間をどこで、どのように迎えるかが問われてくる。
 ⼈としての尊厳を護りながら、できるだけ不安な思いを抱えることなく、できれば安楽に、⽣きてきて良かったという思いを持てる形で最期の瞬間を迎えることは、求められてよいと思う。それは決して過度な要求でも、ぜいたくなことでもない。そういう意味で「看取り難⺠」とは、死の瞬間を本⼈が望む状態で迎えられない⼈のことを指すのではないか。その中には、⽣から死につながる場⾯で、必要な介護を受けられずに、苦痛と悲嘆の中で死んでいく⼈の状態も含まれるのではないだろうか。そのような死に⽅が、「やむを得ない」とされる社会は、寒々しく怖い社会だと思う。そのような社会にしないためにも、暮らしの場での看取り介護が求められるし、その基盤となる医療・介護連携が求められる。
  このように、死を間近にした⼈を、その⼈が暮らしている場所で看取るためにも、保健・医療・福祉・介護連携が求められてくる。この多職種協働が機能するには、「顔の⾒える関係」が必要だと⾔われる。誰もそのことを否定しないだろうが、⼀⽅で僕は、顔の⾒える関係だけで多職種協働が機能すると考えるのは、随分安易だとも思う。顔の⾒える関係はあくまで⼊⼝であり、それをきっかけに「物を⾔い合える関係」まで発展させないと、多職種協働など絵空事だ。バックグラウンドや法⼈が異なるさまざまな職種が、優れたチームをどのようにつくるのかが⼀番の課題であり、チームの中で医者に遠慮してソーシャルワーカーが⾔うべきことを⾔えなかったり、医療関係者の⾔葉を介護関係者が理解できないということでは困る。そうしないためには、場合によっては相談援助職や介護職の側からも、⾃分の専⾨領域については、医師や看護師や理学療法⼠等にコンサルテーションを⾏うことができる能⼒が求められる。そのためには、それなりの知識と技量が求められる。 
 例えば、多職種協働チームにおける相談援助職の役割とは、単に居宅サービス計画を作成し、利⽤者の相談に乗るだけではなく、他の職種と⽐べ、利⽤者と密接にかかわる場⾯が多い職種であるが故に、他の専⾨職が気づかないような利⽤者の訴えや思いをくみ取り、それを本⼈に代わって連携チーム内の他職種に伝えていく“代弁機能”が求められるだろう。その時、医療職種に利⽤者本⼈の思いを伝えるコミュニケーション能⼒が最も求められるが、そこで必要な知識は何なのか、医療職と福祉・介護職が共に学ぶ機会は案外少ないかもしれない。
 医療・福祉・介護職の⽅々が⼀堂に集まり、語り合える機会として、「⽇本在宅医学会第20回記念⼤会」が4⽉29⽇、30⽇に東京・品川で開催される。メーンテーマは、「いのちと⽣活を⽀える医療介護多職種チームの使命〜病院・⾏政・市⺠とともに取り組む街づ
くり」だ。

僕は29⽇午前のシンポジウムなどに参加予定だが、シンポジストの提⾔内容は以下を予定している。
1.菊地雅洋⽒:「⽣きるを⽀える暮らしの場での看取り介護」
2.佐藤⿓司⽒:「健康じゃなきゃダメですか?」
3.鷺坂英輝⽒:「医療・介護保険制度から⾒た在宅ケアについて話題提起」
4.迫井正深⽒:「今後の医療・介護の将来像=“かくありたい、という「夢」を語る”」

 午後は、僕単独で「死を語ることは愛を語ること」をテーマに基調講演を⾏う。看取り介護の場で⽣まれる「物語」の意味を考えていただきたい。
⽇本全国から保健・医療・福祉・介護の最前線に⽴つメンバーが⼀堂に集まる貴重な機会であり、新たなつながりも作れるだろう。ゴールデンウィーク初⽇からだが、バラエティに富んだ講義などを聞けるまたとない機会だ。是⾮、お越しいただきたい。

菊地雅洋(きくち・まさひろ)
 1960年、北海道下川町⽣まれ。北星学園⼤学⽂学部社会福祉学科を卒業し、社会福祉⼠、介護⽀援専⾨員など多数の資格を保有。北海道介護福祉道場あかい花代表を務める。
 介護業界屈指の論客としても知られ、⾃⾝が管理するBBS「介護福祉情報掲⽰板」(表板)、ブログ「masaの介護福祉情報裏板」などを通じて現場らの情報発信を続けている。主な著書に「介護の詩(うた)〜明⽇へつなぐ⾔葉」、「⼈を語らずして介護を語るな THE FINAL〜誰かの⾚い花になるために」(いずれもヒューマン・ヘルス・システム社)、「介護の誇り」(⽇総研出版)

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