目標を持とう!4

総論的な熱い想い?

みたいのは一通り伝えられたと一方的に考え、そろそろ

各論に(前置き長すぎ? たぶんまたどこかでクドクド語るのだ…  話長くてごめんなさい 😓)

幼少期はとにかく耳からアプローチしたのだった。(ちなみに我が家の場合、サンプル数は3で、年齢が2歳ごと・性別は男女比2:1といった集団  …集団?である)

 

私は周囲に日本語が溢れかえっていた環境で、小学校に入るまでには日本語ペラペラになったのだ。方言も標準語も理解できて、自在に話すこともできた。

  • そんなの普通、あたりまえ。 ん? あたりまえ、な の ?
  • もしかして日本語も英語も同じだったりするのか な ?
  • だとすると、英語も同じようにすればよいだけのこと な の ?

 

余談だが、こんな単純なことがわかるまで相当時間がかかった。たぶん… たぶん1年くらいかかったと思う。当時、2歳になっていた長男(この春、大学生になりました。うーーーーーーわ、17年も前の話なん?😱)にせっせと、アルファベットの大文字小文字を教え、単語を教えた。ぐんぐん吸収するもんだから、子どもってすごいなと感心しつつ、この次、どうやってセンテンスに持ち込んだらえんやろ? 自分が受けた英語教育をふりかえると… 時制や派生語などをセットにした、ある程度の語彙数と簡単な文法が必要? と完全に読み書きから入ることしか念頭になかったのだ。いやいやどう考えても2歳にそれは妥当じゃなやろ… 

考え続けた期間はたぶん1年ぐらい? その1年の間には単語からセンテンスに持ち込むべく大手の子ども英会話教室に通ってみたりもしたが、24時間/日×7日のうち、たったの1時間(これは1週間のうちたったの0.6%、半分寝てる時間としても、それでも持ち時間の0.3%にしか該当しないのだ)にそれ相当のレッスン料を払って(下に乳飲み子をかかえて大変だったのよ)英語を使って歌やお絵かきをするといったありきたり?に時間を使う意義が見いだせず、例えば1年後に子どもの英語が成長するかと問われたら「決まった定型文なら」といった条件付きでの成果だろうと即断できた。もちろんそれなりの効果はあるが、それなら家でもやれるくない? コスパは適当? あれやこれや考え、結局3ヶ月で辞めたってこともあったっけ。たった3ヶ月だったが、せっかく始めたのに辞めるときは本当に辞めていいのか?と、とても不安だったことを覚えている。せっかく見つけた(金銭を代替として誰でも乗れる)レールではあるのだが、そこから脱線するような感覚。レールに乗って流されていればある程度の成果は保証されているだろうし、それほど私自身が奮闘しなくてもよいはずだ、と。楽することを考えたりも…。

しかしながら、英語と保険は不安を対象としたビジネスだ、といった主旨の記事をどこかで読んだのを思い出したりして、これか、、この不安なのか。。 と妙に納得し、あっさりと辞めることができたのだった。

じぶんちで毎日 ってのが一番効率いいし、楽かもしれない。という結論に。

 

本題に戻る。

ともかく家庭が英語であふれかえる環境へと環境調整に着手。子どもたちの耳に英語を入れまくることにしたのだ。

どうやって?

日本語が流れ出て時間を空費するテレビを撤廃して、海外のDVDを再生するため region free のDVDプレイヤーを購入(ネット時代の今では、ちょっと時代を感じますが…)。もちろん読み聞かせも続けた。とにかく多くの語彙を獲得して欲しかった。語彙の豊かさが思考の豊かさにつながるような気がしてならなかったからだ。

 

横道にそれるが、語彙の豊かさは思考の豊かさにつながるという考えは今も変わっていない。人は言葉を使って思考する。思考とはすなわち、自分が感じていること、表現したいことをピッタリと言い当てられる言葉を選んで考えをまとめる、ということ? 語彙が少ないと自分の考えをまとめること、表現することができないということではないだろうか。思考が浅くて狭いものになってしまうということではないだろうか。思考が浅くて狭いということは、すなわちパラダイム・シフトすることが困難ということに繋がり、自身の価値観を変容させたり、多様な他者に対して寛容になることができない、ということを示唆する気がしてならない。それは、選択肢を減らし、生きづらさを増すことにつながることだと思うのだ…

 

本題に戻る。

ちなみに私の英語は、いわゆる日本人英語だ。典型的だが、RとLの音の違いは判別できない。一生懸命、舌を丸めてRを発音しても、所詮「なんちゃってR音」なのだ。しかし日常会話に(相手は知らないが少なくとも自分は)困らない。ビジネス英語も行けると思う。…というかビジネス英語のほうが、テーマが限局しているため簡単かもしれない。 …ともかく、英語で会話する際には文脈の中から単語を推定し、その単語を頭の中でspell outしてRとLを判別することで対処しているのだ。

以前に比し、あらゆる場面や文脈に触れることによって経験値が上がり判別速度が上がったというのは事実としてあるかも知れない。それは単なるテクニックであって本質的なものでは全然ない。本質的な音の判別能力は私には前提条件としてそもそも備わっていないし、備わっていない能力を育てることなどは、不可能なのだ。本質的な部分が備わっていないため対症的なテクニックで補っているというのが現状であり、常に後追いの状態を強いられることになっているのだ。このことは、子どもと一緒に英語学習を開始して時間が経てば経つほど、私に重くのしかかる現実でもある。

これは臨界期を超えてから英語を学習したことによる絶対的なダメージであろう、と考えている。

捉え方を変えると、臨界期より前に英語を聞く耳をもつことができたならば、その無駄なダメージに脅かされる危険が そもそも無いのだ。終生免疫の予防接種と似てるかも

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